せぐの人体実験

メンタル不安定ながらも、不安定な物事が嫌いではない人間のブログ。

実験夫婦として。

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実家住みで醤油の置き場も知らなかった人と、過干渉で褒めることを知らなかった私が壮大な実験、といって結婚して20年越えた。破綻した夫婦と惰性で無様な夫婦の間の子らの実験としてはまあまあではないかと思う。間に生まれた子らが、かつての自分らと違い、萎縮せずのびのびしてるから。ある意味、子どもの天国だ。

 

私は古傷をいつまでも残して振り返って我が身の先の舵をきる。

相手は過酷すぎた過去を捨てて先しか見ないアドラーさんみたいな人だ。

 

全く違うが、

破綻しないこと・惰性にならないこと、それぞれの親のあかんかったところを冷静に見て、自分らの過程を模索している。修正しては進み、戻り、の連続だ。

 

そこで古傷を掘り返した私が精神的に乱れたりしたのが幸いに転じて、相手は醤油の置き場もブラックペッパーの置き場も知るのが当たり前になった。

 

親から常に体育以外の完璧を求められて20過ぎには燃え尽き、子を産みそのまま免疫疾患にかかった私は、適当という本当の意味と、人に頼ってもいい、というごく当たり前のことを知った。

 

 

結婚したとき大人になったと思ったが、そっからがマニュアルのない車をわたさるようなものだ。運転士と地図を見るナビゲーター(とりあえずナビシステムは置いておこう)を時に交代して。

 

家族は一大事業だ。

 

 

家族という一大事業を成し遂げられない人間は、仕事でもうまくいかない。いくはずがない。(と、心理学者の河合隼雄が言ってます。個人的に私は賛成です)。

 

小さな社会単位がやんでたら社会が病むに決まってる。(と、社会学者の加藤諦三も言ってます。個人的に私は賛成です)。

 

なんか著名な人に責任を押し付けたようなせこい文章ですが、あれこれ社会のスピードに置いていかれてる、とてもたいせつなことだと思います。

 

なぜ人は映画や漫画やドラマでこういうことに頷くのに、現実世界でそれを具現化しようとしないのだろう?ハナから諦めてないか?具現化は想像から始まるのに。

 

私は話すことが正論過ぎ・過剰な理想家・夢想家と言われるが、極めて現実的な問題だ、たぶん。今の日本にとって。

 

2018に向けて、あと24時間切って、思うことでした。