せぐの人体実験

メンタル不安定ながらも、不安定な物事が嫌いではない人間のブログ。

子どもらの笑顔と大人のエゴと

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大人がどんなに真剣なことを話していようと、近くにいる子どもらは夢中になれるものがあればそれに集中する。集中するならゲームでもウノでもバラエティでもなんでもいい。ただ、夢中になれるものがなくなってしまえば途端に子どもらはしょんぼりして深刻な大人と同じ顔を真似るだろう。

 

とても深刻なことが起きてきても笑っている私は周りから見たらドコカオカシイのかもしれないけれど、目の前に子どもらがいるからこそ、笑わかせたり笑っていないといけないと思って必死だ。

 

私が過激なことを言ったせいで、冗談なのか区別がつかなくて他の大人から怒られる。それで深刻な本筋から少し脱線するわけだけれど、脱線でもさせないと、とりあえず小さくてもいいから笑いに落とさないと、大人の顔は深刻になるばかりだ。

 

大人になればなるほど、この世は生きるのに辛すぎる場所に思えてくる。ふざける余地がないからだと思う。

 

自分がへらへら笑うのが伝染して、訳もなく子どもらが笑えば、とりあえずその場は平和だ。平和だと子どもの脳が認識すれば、こっちのもんだ。そして私の脳は子どもらの脳をいかに錯覚させるかで必死だ。やはり、どんな深刻な時にも、一番心配なのは、子どもだ。

 

子どもの可愛い幹に傷をつける大人は許さない。いくら無知であろうと、無意識であろうと、大人のエゴによるものは、許さない。

 

許せるほど私は大人ではない。もともと歪んだまま育った幹だからか。