せぐの人体実験

メンタル不安定ながらも、不安定な物事が嫌いではない人間のブログ。

パレードなんだって。

人生はパレード  はプリンスの言葉

 

パレードは、こちらが待つと、つけあがって、いつまでも来ませんよ はシティボーイズのコントの言葉

 

松井珠理奈が優勝したらパレードする  が河村シチョーの言葉

 

部下は頭抱えてるだろうなぁ

 

重みのないパレード

 

 

 

AKBなんだって。

ナゴヤドームで今日か明日AKB関係の総選挙やるらしい。

 

何も興味ないので気を悪くしそうな人は読まないでね。

 

東京出向いて河村シチョーが掛け合ったらしい。

 

わざわざ?、、、という感じ。

 

で、今日だか、名古屋中のホテルが満室らしい。

 

ほへぇ、、、という感じ。

 

総選挙の入場チケットは一万円を超えるそうだ。

 

なんなん、、、という感じ。

 

んで、投票にもお金かけてんだろうね、みんな。

 

ファンのみなさまお疲れ様です、、、という感じ。

 

地下鉄の乗車券にはAKB関係の写真を、通常金取れるところを、無料で使わせてもらってるらしいとのこと。

 

余裕やな、、、という感じ。

 

でかい学芸会!

 

1ヶ月間精神科が空くことになる

これまで通っていた精神科が院を畳むことになり、先生は大きな力になれずにごめんなさいね、と言って終わった。

 

いやいや、わたしには大きな力だったし、最後には家族に言えないことを代弁してくれた。

 

普段もこう言ったらどうだろうか、こういう態度で過ごしたらどうだろうか、とたくさんの提案をしてくれたので、ありがたかった。

 

最後に、先生の院を居抜きで一月後に使いはじめる医師を紹介して終わるはずなのに、先生は、

 

もし(次の先生が)合わなかったら××先生の院に行きなさいよ?と念を押してきた。

 

なーんかわたしの性格からそういう言葉が出たのだろう。

 

夜のロフラゼプ、レクサプロ、ファモチジンDを飲みながら、ふと思い出す。

 

あと3週間、家出も引きこもりも暴れもせずにいられるかしらん。

 

すっ転んで青あざを作るのはもう、仕方ないとして。

 

家族と諍いを起こさないようにしないと、、、。

 

と思うと、つい、言葉も行動も抑えて抑えて本来の自分が引っ込んでしまう、のだろうな。

続、トランスフォーム

前回のトランスフォームのさらに一個前の記事に自分が

 

トランスフォームし続けます。

 

と書いていることに今しがた気づいて驚いています。日にちが空いて忘れてるのに、またトランスフォームについて書いている私は一体なんなのか?

 

どっちかといえば

属するなら、オートボット軍がいい。ディセプティコン軍でなく。当たり前か。

 

私は髪型や眼鏡を変えると人が変わったような形から入る人間で、よく、その辺にいても、私と気づかれないことが多いです。うまくトランスフォームできてるのか、単に昆虫や魚のように擬態しているのか、よく分かりません。

 

筆跡も昔から定規を当てたような金釘文字、楷書、行書、草書、と、一定の文字で書かない癖がありました。

 

うーん、こうして客観的に見ると情緒不安定だったのかもしれません。

 

昔から鞄性の胃腸炎ももっていたし。あ、、、!過敏性です。なんだよ、カバン性って。

 

とにかく、なんとなく、自分はこうだ!という形がなく、親にノーガターレーンのボーリングをやらされていたような感じです。失敗したり恥かく機会やチャンスさえ遮られてしまい、無かった、というのが真相です。

 

自分は何者かを考えていたことは常にありましたが、親の多大すぎる悪影響を受けていたことに気付くのは遅すぎましたね。

 

これだから、若い人の人格形成とか、同じ轍を踏んでもらいたくないって思いが強すぎるんですね。これも押し付けがましい。ある意味。今気付いちゃった。どーしよ。

 

トランスフォーム

自分は今トランスフォームしている、が、亡きプリンスの死の少し前に書かれたメッセージで、未だに謎のメッセージとして議論されています。

 

トランスフォームといえばトランスフォーマーがまず浮かびますが

形姿全てが変わる、しかもトランス、ということで、連鎖しつつ変化することを意味します。

 

私も今なんだか自分がトランスフォームしているような気がします。

 

既成概念が壊され、未知の領域に踏み込み、、この歳になりそういうことが起こるものなのか、と驚きました。LALALANDなど見て感動する若い世代だけじゃないんですね、トランスフォームは。なんというか、守りに入ってた自分が攻めに入った気がします。

それは多分に、精神科医

 

人の評価を気にするな堂々としろ

 

友人(ら)の

 

正しいんだから周りの言うことなど気にするな

 

というアドバイスが徐々に効いてきたのだと思います。

 

軽い励ましと、心からの励ましというか、ズタボロの自分を見た上でのアドバイスは違うのかな。と思います。

無意識と意識について

意識には必ず無意識の欲求や嗜好が出てしまう。

 

今私はとあるブレスレットを身につけたのをきっかけに幅10センチほどまであれこれブレスレットを5本ほど毎日巻いている。

 

1本目のブレスレットがとても嬉しかったのと、それに相方を足して、私の好きな色を足して、、、、という感じだ。肘まで来たらシャレにならない。

 

髪を切ると必ず(買い足しはしないが)合わせる服は変わる。どうも形から変わろう変わろうとする欲求があるらしい。

 

知り合いでずっと同じ髪型をキープする人などを見るとホントに驚く。自分は毎回違うからだ。人と同じように見られたくない、更には昨日の自分とは同じようには見られたくないというかなりワガママな欲求があるのだと思う。

 

そこには自分の素性を悟られたくないという無意識があると思う。度入りの眼鏡をあえてサングラスにしているのも、人から判断されるイメージを撹乱したいからだ。

 

一体何者に見られたいのか、私。

セグさんは、こんな感じの人というみんなの意識にある固定イメージをぶっ壊したいのだろう、おそらく。毎回壊しては喜んでいる。変態だ。

 

今後もトランスフォームし続けます。

 

アート(芸術)について

自分の子どもに恐れ多くもアートという名前をつけようとしていた若きバカな私。

文字は我人。

ヒンドゥー教ブラフマンアートマンとも引っ掛けたのですが、説明がクソ難しいし、クソ難しいと言ったら絶対本人から恨まれると思いましたし、将来かかわる先生に、あ、この親はバカだな!と思われるに決まってるだろうから、使いませんでした。

 

生活していてアートといわれるものと触れ合う機会が多い、と書くと、ハイソでお高く感じられるでしょう。

 

でも私の思うアートは人の生き方や主張そのものであり、

作品として表される、現れるものはアートが心から飛び出した表出に過ぎないと思うのです。

 

愛着や愛憎を語る本人からほとばしる情熱や、この人どうかしてる?と思われるほどの思い入れそのものがアートであり、その対象は愛する人でも、憎む人でも、思い通りにならない猫でも、高かったフィギュアでも、そしてこれから形になるであろう未だ非言語で無形のものでも同じなのではないでしょうか。

 

あとはその心から飛び出た表現が伝わりやすいか、斬新か、で、商業としてのアートに乗っかって行くのだろうと思います。

 

というわけで、アートは

ヒトの呼吸の仕方一つにも宿るのではないか、ということです。とても身近なものだ、と言いたいのです。むしろ、生きることがアート。

 

以上で今日の私のアートについての主張を、終わります。